連絡先も知らない。もちろん会いたいと思っても会えない。今まで会うことができたのは、部活関係と偶然。部活を引退した今、なおさら会えるタイミングは減っている。そんな関係性のはずなのに。なのになぜ、今、こんな時にこんな所で彼女に会ったんだろう。
彼女、稲実の元マネージャーのは、びっくりした顔をしてオレを見ている。オレの思う意外性と彼女の思う意外性はきっと別物だ。
ったく。何でいるんだよ。こんなとこで何してるんだよ。
言いたい言葉はたくさんあるけれど、それよりもオレには今、言わなくてはいけないことがある。それは今のオレの使命というよりもただの義務だ。そしてオレは体育会系の性だろうか、そういうことには意外にもとても忠実だ。
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
ちょっとばかり裏声を作って、自分の中で最高とも思える笑顔を作った。なんたって、今日のオレはメイドさんだからな。
「つーか、笑いすぎだろ」
最低限の自分の義務を果たしたオレは腕を組んで、目の前で即席で作られたテーブルクロスがかけられた机をはさんで向かい合って座っているとうちの元マネジの藤原を見下ろした。
「破壊力ありすぎ」
一式メイド姿のオレはご丁寧にもすね毛まで剃られている。顎ヒゲは死守したが、メイクされロングヘアのかつらまでつけさせられている。つけまつげって意外に重いってのは衝撃的な発見だった。そんなオレを見て藤原は笑うだけ笑うと今度は嫌悪感丸出しの顔で、上から下までじっくりと見た。
そんなイヤな顔するくらいなら見んじゃねぇっての。
「つか、何でおまえら一緒なんだよ」
「塾が一緒なの。それで今日文化祭だからって誘ったんだ」
「あ、そー」
納得。いや、納得はしても、ここにを連れてくることはないだろうとは思う。何が悲しくて好きな女にメイド姿をさらさなきゃならないんだ。当のはそんなオレの気も知らずに藤原と同じように散々笑ったあとに、しげしげとオレを見ている。
「力作だね〜」
どこに感心しているのか、もう一度オレを上から下まで見る。
「力作っつーならアッチ」
そう言って、親指で入り口の方を指す。あいにくと振り向く勇気はオレにはない。
「あれ、誰?」
はすぐに誰かは気づかないらしい。藤原は誰かわかったらしく固まった。笑いたいんだろうが、相手が悪い。笑ったら最後どうなるか、オレじゃなくてもある意味アイツの恐ろしさをわかっている。
オレと同じメイド服を着て、ピンクのウェーブヘアのかつらをかぶらされ、あろうことか男どもに囲まれてちやほやされているのは…
「小湊亮介、わかるか?」
「…セカンドの?」
そうだという意味でうなづいた。
はもう一度、亮介の方を見ると、はぁーとため息をついた。
「わ〜、そんじょそこらの女子よりかわいいねぇ」
亮介の性格を知らないせいか、軽く言う。それが聞こえたのか、亮介がコッチを見た。その瞬間、オレと藤原はすぐに視線を外したが、冷え冷えとした殺気を感じたのは気のせいじゃないはずだ。
「よく承知したわね」
「アイツもクラスの女どもには敵わなかったんだよな」
藤原が声をひそめるので、オレも同じように小声になる。小声になるとどうしても顔を突き付け合わすことになる。
「後でアイツの八つ当たり受けんのぜってーオレだっつの」
あー、と大きくため息つくと、すぐ隣でが笑う。恨みがましく目をやると、思ったよりも近くにの顔があって、焦った。
「…っで、注文は?!」
焦りと照れを隠すように勢い良く体を起こす。
「じゃあ、この萌え萌えプリン」
「私はラブリーケーキ」
「かしこまりました、ご主人さま」
義務を果たすべくにっこりと笑ってやる。もうやめてよーという悲鳴に近い二人の声を背にしてバックヤードへと向かった。
「プリンとケーキだってよ」
さっさと作りやがれと言わんばかりに投げやりに注文を通すと、バックヤードにいる女子たちがはいはいと動き出す。
「伊佐敷、藤原さんと一緒にいるの誰?」
「ねー、かわいいじゃん〜」
「かわいい、かわいい」
「うちのガッコじゃないよね?」
「あれ、稲実の制服でしょ」
「稲実か〜」
女子たちは手を止めることもなく口もせっせと動かす。すげー生き物だとしみじみ思う。しかもオレに聞いておきながら決してオレが答えを挟むすきも与えずにまくしたてる。
「まさか伊佐敷の彼女じゃないよね?」
「それは相手に失礼っしょ」
「言えてる〜」
言いたい放題言うだけ言って大笑いする。
「おまえらいっぺん死んでこい」
吐き出すように言うと、さらに笑いが大きくなる。ちくしょう。
「邪魔」
ちっと舌打ちが聞こえたのと同時にひざ裏に蹴りを食らう。
「イッテェな…」
振り向けば苛立ちマックス状態の亮介が立っている。
「オレに当たんなよ」
「誰のせいでこんな目に合ってると思うわけ?」
「イヤ、ぜってぇオレのせいじゃねぇ」
「二人ともうるさいよ。働きな」
狭いバックヤードで言い合うオレらに女子がプリンとケーキをつきつける。それを手にしてと藤原の元に行こうとすると、亮介がふっと笑った。
「…何笑ってんだよ」
ぞわりとイヤな予感が背中を伝った。
「別に…あ、オレもう終わりだ」
亮介はかつらを取ると叩きつけるようにかつらが入っていた段ボールにめがけて投げつけた。バスッと大きな音がして段ボールを揺らしてかつらは中に入った。さすが野球部〜なんて言うのんきな女子を亮介は一瞥する。どんだけ鬱憤たまってんだよ。
「ねぇ、何か大きな音しなかった?」
ケーキを差し出すと藤原はバックヤードに目線を向ける。どうやら亮介の一投はここまで聞こえたらしい。
「亮介」
その一言で済ますと、藤原も納得する。
「ほら、プリン」
の前にプリンを置く。すると何を期待しているのかニコニコとオレを見る。
「萌え萌えきゅん、とかしないの?」
「するか!!」
「何だ、残念」
くすくすとは笑って、プリンを食べ始める。普通のプッチンプリンにさくらんぼと生クリームが乗せられているだけだ。けれど、満足そうに口にするを見て、顔が緩む。
「そんなうめぇのか?」
「プリン好きだもん」
「増子かよ」
「増子くんってプリン好きなの?」
「そうだ、あんたたち増子くんに炭水化物控えさせなさいよ」
「知るかよ」
自分のメイド姿は置いておくとして、こうして、普通の高校生同士といった様子で顔を合わせることは初めてのような気がした。どこかで必ず、たった一つの甲子園への切符をずっと争っていると意識していたせいだろうか。
「さ、藤原。行こうか」
突然、亮介の声が和やかな話をぶった切った。亮介はすっかり化粧も落として、制服に着替えている。
「え?!」
藤原も驚いている。
「ほら、これ。今エントリーしてきてあげたから」
ニヤリと笑って「ミス&ミスター青道」のチラシを掲げる。
「な、私、これだけはイヤだって言ってるんだけど!」
表に出ることをあまり得意としない藤原は、ミス青道のエントリーから逃げているという噂は聞いていた。それでも美人だし、藤原の周りが何とかして出場させたがっているのは文化祭前からオレも知っていた。
「だいたい私の同意がないと…」
「同意するよね? オレのメイド姿見たんだし」
冷え冷えとする空気をまとって亮介が上から畳み掛ける。この状態の亮介を止められる奴はいない。オレも無理。悪いな藤原。知らんぷりを決め込むとそれを察したのか、藤原がキッとオレを睨む。
「ちょ、伊佐敷、あんた私を売る気?!」
「別に売るとかそんなんじゃねぇけど」
亮介の八つ当たりがそっちへ行くならそれでいい。というのがオレの本心だ。
「いいじゃん。貴子ちゃんならミスになれるよ」
オレたち三人の微妙な空気を全く物ともせずにはにこにこと頷く。この状況でそう言えるのか。実情を知らないっていうのは強い。
「私はちゃんの案内もあるし…!!」
「いいよ、私は大丈夫〜。ミス青道のコンテスト見に行くね」
「そうそう、さんもそう言ってくれてることだしね。じゃ、純」
「え、何だよ」
「藤原はオレ連れて行くし、さんのことよろしくね」
ほら、と亮介はあごを上げるだけで藤原を連れて行った。ある意味、オレらはマネジには頭が上がらない。しかしそれを物ともせずにあごだけで動かす亮介には恐れ入る。
二人が教室から出ていくのを見送って、と二人になったことに改めて気づいた。まさか、亮介のやつ、コレ狙ってたんじゃねぇよな。
「コンテストって何時から?」
「ん、あぁ。1時間後みたいだな。講堂か」
亮介が置いていったチラシを見ながら、答える。時計を見て、オレのメイド当番の時間も終わっていることに気付く。
「オレ、着替えてくっから」
「じゃあ、ここで待ってていい?」
「おぉ」
後ろを向いたまま手を軽く挙げて、バックヤードに向かう。まるで付き合っている奴らの待ち合わせの約束みたいで、何となく照れくさくて振り向けなかった。
着替えて戻るとは携帯をいじっていた。誰からかメールか、それとも誰かにメールか。何してるとは聞きにくい居心地の悪さがある。
はちらっと顔を上げてオレを見ると携帯をしまって
「あー、失敗した」
と笑う。
「何がだよ」
「メイド姿。写メっとけばよかった」
「ぜってぇ、させねぇ」
着替えておいてよかったと心底思った。
「どこ行く」
「んー、野球部がいるとこ」
「何で」
「だって、まったく知らない子しかいないのはつまんないし」
「オ…」
「何?」
「いや、何でもねぇ」
オレが一緒だろと言いかけた。オレが一緒だからなんだっていうんだ。にとってオレは何でもない。
「あ、一也くんとこがいいかな」
「か、ずや」
一瞬、誰のことかわからなかった。
「御幸か」
「うん。メイちゃんがさっきから一也一也ってうるさいから」
「…メイちゃんね」
ぽんぽんと他の男の、しかも下の名前で出てくると、そんな立場にないとわかっていても、少なからず苛立ちが出てくる。
「って、さっきから?」
「うん、メールでうるさいの」
メアドも知ってるのか、なんて馬鹿げてる思いが出てくる。知ってて当たり前だ。オレだってうちのマネジたちのアドレスは知っているんだから。だから何てことないことだ。取り立てて気にすることじゃないと、頭ではわかっているのに。
「御幸のクラスだな」
先に立って歩きだす。廊下に出るとさらに文化祭の喧騒が大きくなる。なのに、バリアがはられたみたいに何も聞こえない。手にしたパフレットを丸めて、ただ御幸のクラスを目指す。感情を平坦にしないと何かが暴れだしそうだった。
グイっと左の背中に重みを感じて、振り返ると、がこけそうになって、オレのセーターを掴んでいた。
「ごめん、人多くて」
「いや、オレが悪ぃ。大丈夫か」
大きく息をはいた。せっかく今、ここで一緒にいるのだ。つまらない感情に囚われて台無しにすることはない。の態勢が整うのを待って、他の奴とぶつかったりしないように体半分でかばうようにしてゆっくりと歩き出した。
「あー!! 純さん!!」
二年の階に来ると、早々に前園につかまった。前園の声に次から次へと野球部がやってくる。その中に目当ての御幸がいないので
「御幸は?」
聞くと、前園も倉持も顔をひきつらせる。
「ミスター青道に出るらしいっす」
「御幸のくせに」
その口調に苦笑する。確かに御幸はイケメンだ。けれど、本当にただのイケメンだ。野球を取り上げたらどこに長所があるのかわからない。もっともミスター青道なら顔だけでいいのだろうけれど。
「かっこいいもんね」
またしても空気を読んでないのかは納得したようにうなずく。
「あ、れ。え、と」
倉持がとオレを交互に見て、どう対処したらいいのか考えあぐねているのがわかった。
「藤原が呼んだんだよ」
「藤原先輩が」
「塾一緒なの」
にこにこと強面の前園と倉持に臆することなく笑いかける。誰もがが稲実の元マネジだとわかっているので、一斉に「ちわっす」とあいさつをする。突然の大人数のだみ声に周りがびびっている中、野球部のマネジをしていただけには「ちわ」と笑う。その笑顔がかわいくて、前園の鼻の下が伸びたのがわかった。あとでぶっとばす。から気をそらすためにチラシを掲げた。
「藤原も出るぜ」
「ミスっすか」
「まじで?」
「そうだよ。貴子ちゃんならなれるよねぇ」
またしてもにこにことは笑う。くったくがないにもほどがあるだろう。
「メールしとこ。一也くんがミスターになったらメイちゃん発狂するだろうな」
おもしろそうに笑いながら携帯を取り出す。成宮の名前に前園も倉持もほかの面々もぴくっと反応する。オレが反応した理由とはまた違う。コイツら現役には現在進行形のライバルにあたるのだ。
「野球部集めて、みんなで藤原見に行けよ」
藤原は嫌がるだろうけどな。それでもやっぱり仲間は応援しなくては。
「うっす!!」
集まってきていた二年の野球部たちは散り散りに去っていく。他の奴らや一年に言いにいくのだろう。
「どうする。まだコンテストまでに時間あっけど」
目当ての御幸がいないなら御幸のクラスに行っても仕方ないだろうとを見る。はそうだねと頷いた。そしてもしかしたら最初から行きたかったかもしれない場所を口にした。
「グラウンド見たい」
「何度も来てんだろ」
「うん。まぁね」
何度も何度も。グラウンドで出会った。青道のグラウンドでも、稲実のグラウンドでも。球場でも。
「ん」
コッチとあごで示す。はうんと頷いて一緒に歩き出す。
グラウンドのある方は文化祭とは無縁のため、人通りはどんどんと少なくなっていく。無言のまま二人でグラウンドを目指した。
「静かだね」
「そうだな」
グラウンド周辺には全く人影がない。ダイヤモンドを囲むネットには手をかける。同じように隣に並んでネットに手をかけた。
「次は…神宮?」
ダイヤモンドをみつめたまま、は口を開く。多くないその言葉の意味を悟る。
「受かればな」
「危ないんだ」
「うるせぇ」
くすくすと横で笑う。その横顔に本当にもう今までとは違うんだと気付いた。もう、甲子園を争っていたチームの一員同士じゃない。
それでもまだ、どうだった、とはオレには聞けない。
「オマエはまたやんのか」
「うーん。未定」
「そっか」
てっきり大学でも野球部のマネジをするもんだと思っていただけに少なからず驚いた。はふふふと笑った。その表情がとてもかわいく見えた。
「個人的な感じが理想なの」
「ん? 意味わかんねぇ」
「いいよ、わからなくって」
「悪かったな、察しが悪くて」
人気のないダイヤモンドにの笑い声が響く。その上からコンテストが始まるアナウンスが流れた。
「行くか」
「うん」
そろって、歩き出す。
「あ」
「何だよ」
「自分のガッコじゃ迷子にならないんだね」
今更、すごいことに気付いたって顔をする。三年住んでんだ。いくらなんでも迷うかよ。
「めちゃくちゃオレのことバカにしてんだろ」
「だって、私の一人での初仕事だったもん」
「何がだよ」
「練習試合で迷子の案内」
「覚えてんのかよ」
「忘れないよ」
軽やかな足取りで、は楽しそうに笑う。その姿をとても愛おしく思った。
オレも忘れてねぇよ。
あの時感じたあたたかなものを。そして心の中でずっとしまってあった大事な気持ちも。
おまけ
「何だよ、これ〜」
思わず携帯を地面にたたきつけようとして、我に返った。自分の携帯つぶしたって、いいことなんか何もない。
「どうした」
「一也がミスターだって、むかつく」
「何、ミスターって」
「ミスター青道ね、ミスはあの美人の三年マネさんだ」
白河がオレから携帯をとりあげて、カルロスたちにメールの内容をかいつまんで伝えた。
「あのマネさん美人だもんな」
「うちのさんだってかわいいけどな」
「さんはかわいいけど、オレだってかわいさじゃ負けねぇ」
「そこムキになるとこじゃない」
「てか、さんってやっぱ、あれ、なのか」
「あれって、あれ?」
何となく噂になっているさんの相手。何となくお互い好きあってるんじゃないのとオレたちも青道の奴らも感じてる。
「…」
知らずにすむ真実なら知らないままの方がいい。誰ともなく黙ってしまった。
20140319