青心寮の前に女の姿が見られることは多いことではないが、全くないわけでもなかった。甲子園に出場していなくても、有力な選手はいるため、妙に高校野球通、ある種ミーハーな女の子たちが押しかけてくることがあるのだ。
ひゃはは! 今回は誰が目当てかね?
退屈な男ばかりの日常におもしろい話題の投下かと目を細めた。けれど、その期待は簡単に裏切られた。何のことはない、さんだった。さんだとわかれば何もこそこそと様子を伺う必要はない。
「ちーすっ。哲さんに用っすか?」
「あ、倉持くん…」
さんはなぜかひどく困った顔をした。さんにそんな顔をされて少なからずショックを受けた。さんは野球部員に受けがいい。いつもニコニコしていて、やさしいからだ。そのさんが唯一苦手としているのが純さんで、純さん以外にそんな顔を見せることはまずない。オレに声をかけられたのが迷惑だったのだろうか。それともいつのまにかオレも純さんと同じ位置におかれてしまったんだろうか。けれどそんなオレの悩みはかるくふきとばされた。
「待たせたな…って倉持じゃねぇか、コラ。テメェ何してやがる」
さんに待ったかとやってきたのは純さんで、純さんはオレを見るとみるみるうちに眉毛の角度をいつもよりも10度は上げた。右と左の眉毛が12時0分を指す純さんを見ると死ぬといわれているが、10度上がるだけでもかなり脅威だ。
「や、なんもないっす、あ〜、みっ御幸はどっこかなぁ。あははははは…」
背中を見せたら何を食らわされるかわからない恐怖で後ろに後ろにと後ずさりながら、純さんたちから遠ざかる。ここまで離れたら大丈夫だろうという距離まで来てダッシュで自室へと戻る。
それにしても、珍しいこともあるもんだ。あのさんと純さんがわざわざ待ち合わせをして会うなんて。どちらが誘ったにしても、大きい話題には違いない。けれどあの純さんの顔を見て、人に言いふらす気にはなれなかった。さんの困ったあの顔も、きっと純さんとああして会っていることを他の人に知られたくなかったからなんだろう。
先日の食堂での一件を思い出した。どうもあの二人はややこしい感じがする。一人でもやもやと考えるのは性に合わない。御幸にだけは話しても大丈夫だろうと思い、足を自室から御幸の部屋へと向きを変えた。
「っと…!」
方向転換した途端に人にぶつかりそうになった。
「何、急いでる?」
「て、哲さん…」
なんてタイミングだろうと自分を呪いたくなる。
「純、見なかったか?」
「…え、や、あ…」
絶対今日は厄日だ。哲さん相手に嘘をつくこともごまかすこともできそうになくて、聞き逃してくれたらいいのになんて淡い期待をのせて、小さい声で答えた。
「さんと寮の前にいました…」
「そうか」
哲さんはうなずいた。その顔が満足げに見えたのはオレの錯覚だろうか。
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20070327→0401改