遊び疲れて見上げた空を 第1話


 教室に入ろうとして、ふと目に入った。黒いふちのメガネが印象的なその彼、御幸一也くんも私に気付いたらしく、ペコリと頭を下げた。

「誰に用なの?」

 中に入ろうとしていた体を御幸くんの方に向きなおす。御幸くんは人懐っこい笑顔を見せて近づいてきた。三年の校舎の中、二年生なのに堂々としたものだ。

「…純さんっす」

 ちょっと言い辛い、そんな雰囲気を感じた。ま、それもしょうがない。伊佐敷くんのことを私が苦手にしていることは周知の事実だ。

 名前を聞いただけなのに、ちょっぴり顔に出てしまったのが気まずくてゴメンと小さくこぼすと、御幸くんは心得ていますとばかりにニコっと笑う。年下なのに勝てないなぁと思う。まぁ、そのくらいでなければ青道の野球部でレギュラーなんてやってられないだろう。

「何してるの?」

 教室の入り口で止まったままの私に、教室の中から声をかけたのは、小湊亮介くんだった。小湊くんは御幸くんにすぐに気づいた。

「あれ、御幸? 何か用?」
「ちっす、純さん、探してるんすけど」
「どこかで吼えてない?」
「や〜、聞こえないんで、保健所に連れてかれましたかねぇ?」

 身もふたもない二人のやり取りに内心笑ってしまう。

ちゃんならわかるんじゃないの?」

 突然の小湊くんの言葉にドキリとする。そんな私の動揺など気づきもしていない素振りで小湊くんはニコニコと私を見た。

 そう、伊佐敷くんが苦手な私はなぜか伊佐敷くんとの遭遇率は高く、しかも気づくのも早い。例えて言うならネコアレルギーのある人がネコの姿が見えなくてもネコがいればくしゃみしてしまうのと同じようなものだ。

「アイニク…」

 と言いかけてふと気づく。頭の隅にこびりついた雄叫び。記憶を手繰り寄せてみれば、それはつい10分ほど前のこと…

「食堂でちらっと声を聞いたような…聞いてないような…」

 私の曖昧な言葉にさすが、と小湊くんは笑い、御幸くんは助かります、と食堂に向かって走り出した。その背に向かって、あわてて叫ぶ。

「いなかったらごめんね〜」

 御幸くんは振り返って笑うと、大丈夫っすと少しだけ手をあげて、走っていった。

「たぶん、いるんじゃない? ほんとちゃんは純のこと好きだね」
「…すごい嫌味」

 ジロリと睨むと、小湊くんは悪びれもなく首をすくめた。

「ほら、嫌い嫌いも好きのうちってね〜」

 どこか楽しそうにも思えるくらい小湊くんはひょうひょうと自分の席へと戻っていった。



 私が伊佐敷くんを苦手としているのは訳があった。伊佐敷くんの騒々しい性格とか野性味あふれる行動とか、そういったものを私が嫌いなんだと思われている。まぁ、それも一理あるといえばそうだけど。けれど本当は違う。本当の理由は言えないけれど。ただ一人、伊佐敷くん本人だけがきっと本当の理由を知っている。誰にも知られたくない理由を伊佐敷くんだけが知っている。



 頭上から私がこの世の中で一番落ち着く心地よい声が響く。双子の兄の結城哲也だ。

「てっちゃん」

 笑おうなんてしなくても、自然に頬は緩む。てっちゃんの顔を見上げると、いつもの感情らしい感情のないクールな面持ちだ。

「さっき、御幸か?」
「うん、伊佐敷くん探してた」
「…そうか、悪かったな」

 てっちゃん自身は何も悪くないのに、野球部員が世話になったからキャプテンとして口に出たんだろう。てっちゃんも私が伊佐敷くんを苦手なことを知っているからなおさらだ。もちろん、理由は知らないし、絶対に知られたくない。

 私が、てっちゃんを、家族としてではなく好きだから。それを伊佐敷くんが知っているから、だから苦手だなんて、絶対に知られるわけにはいかない。

「平気」

 笑って、てっちゃんの腕にじゃれるように自分の腕をからませる。どこから見たって仲のいい双子。誰も私の汚い気持ちなんて知らない。そう、伊佐敷くんを除いては。






20070227→0330改