おとぎ話はおしまい


1
 くせというのはなかなか抜けなくて、良くないとわかっているけれど、してしまう。



 小さなため息まじりで自分の名前が頭上右から聞こえて、はっとする。

「ゴメン」

 気付かないうちに握っていた、優の大きな手をあわてて離した。

 優とは家族ぐるみの付き合いだ。小さなころから同じ年の、でも少ししっかりた優は私の面倒をよくみてくれた。どこかに行けば必ず親たちに「ほら優と手をつないで」と私は言われ、優は「をちゃんとみておいて」と言われ続けた。そのせいで、私は優が隣にいると今も無意識に手を握ってしまう。優の手は温かさに満ちていて引力があるみたいに私の手を引き寄せる。

 小さいころから自分よりも大きな手をしていた。優のその手はとても安心感があった。今は自分の手と比較するとさらに大きくなっていて、見上げればたくましい肩と頼もしい端正な横顔がうかがえる。

 アメリカ人の血が入っているせいだろうか、優は子供のころからとてもスマートにエスコートをしてくれた。たとえば、下りのエスカレーターに乗るときは自分が先に乗ってから手を差し伸べてくれるし、逆の上りだと私を先に載せて、守るように後ろに立った。

 それを当たり前に享受していた自分に気づいたのは高校に入ってからだった。

 中学まではお互い学区が違ったのだけれど、高校は同じ青道に進学した。私の家は青道から近い。野球の強豪として有名だし、一緒に通えたらいいなとは思っていた。まさか本当に寮に入ってまで青道に進学するとは思っていなくて、とてもうれしかった。たぶん優にも嫌な気持ちはなかったはずだ。このくせで周りからひやかされることになるまでは。

 優の手から離れた私の手は何となく居場所がない。隣にいるからいけないんだと思って、後ろ向きになって優の正面に回る。

「それで、優ママが…」
「危ないだろう」

 優は眉をしかめた。下校時に廊下で会った。ちょうど優ママからの言伝があったので、話ながら一緒に昇降口へと向かうことになったのだった。だから正面に回ると後ろ歩きになるため、優の言う通り危なくて人とぶつかりそうになる。

「だって…」
「で、何だって?」

 私の言い訳をさえぎって、優はぐいっと私の腕を掴むと自分の左側に戻した。そして左手に鞄を持った。やんわりと手をつながないようにする策を取る。少しショックだけれど仕方ないとわかっているから何も言えない。私も鞄を右手に持ち直した。ショックなんかじゃないよと見せるための、ささやかな意地。

「優ママが寮に荷物送ったけど何も言ってこないって」
「あぁ、届いた。伝えといてくれ」
「メールでもいいって言ってたけど」
「じゃあ、メールしておく」

 素っ気ない会話に心が曇る。あんなに心地良かった優の隣は高校に入ってからすっかりガサガサとかさついたような嫌な場所になってしまった。いつも以前のような心地良さを求めて話かけたりしていたけれど、それが叶うことはない。

 もう無理なのかな。

 男女の幼馴染なんて、昔のまま仲良くなんてできるものじゃないらしい。自分が昔と変わらずに仲良くすることを求めても優が同じように思ってなければ無意味なことだ。高校に入って、2か月。ここ何週間か悩んでいたけれど、そろそろ思い切る時期なのかもしれない。

「じゃあね」

 手もふらずに私は優から離れて自分の下駄箱に向かった。振り向きたい衝動は堪えた。もうあの隣に未練は残さないようにするために。




2
 左手に持った鞄を右に持ち直した。左はずっとの位置だったから、右に荷物を持つくせがついているため左に持って
いると違和感がある。

 振り払えれば楽だろうに、それがオレにはできない。それどころか本当は離したくはない。けれど、が手を握ってくるのは、ただのくせで、自分の手にこもる思いとは意味が全く違う。その差を埋めないまま手をつなぎ続けることは、ひどく切ない。

 オレがを異性の対象として見るようになったのは、実はかなり子供のころだ。ませていたといえばそれまでだ。レディーファーストという父親の教えも影響していたかもしれない。とにかくを大切に扱うことを父親から徹底されていたし、それを使命のように感じて誇らしくもあった。

 怖い犬がいれば自分が盾になり、おいしいおやつをもらえば、まずはから大きい方を食べさせた。そうやってこの手でを大切にしていく中で、が異性として自分を見ていないと気づいたのは中学に入ったころだった。それに気づいてしまうと、なぜかなおのことのことが愛おしくなった。それは眠り姫のようにいつか自分が目覚めさせるのだと本気で思っていたからだ。

 中学のころまではそれでよかった。学区が違ったため、そんなに頻繁に顔を合わせることがなかったからだ。それが、同じ高校に通うようになって、こんなにも胸がしめつけられる苦しさを呼び覚ますことになるなんて考えてもいなかった。高校に入れば、も自分を異性として見てくれるようになるだろうと、漠然とした期待は簡単に裏切られた。

 小さなころから握っていた自分よりも小さな手はぷっくりとした子供の手から、しなやかな細い指に変わっていて心の隅までからめとっていってしまう。さっきのの手の感触を少しでも長く残しておきたくて、ゆるく握って左手をズボンのポケットに入れた。

「何、にやにやしてんだ」

 ふいに同じ野球部の伊佐敷純の声がした。

「べつに」

 の手の感触を思い出して、顔がにやけていたなんて、恥ずかしいにもほどがある。少しばかり顔が赤くなったのが自分でもわかって、伊佐敷から目をそらした。

「さっき、オマエの幼馴染見たぜ」

 知ってか知らずか伊佐敷は核心をつく。そうか、と平静を装う。

「結局、付き合ってんじゃねーんだよな」
「ああ」
「ふーん」

 が手を握ってくることは入学早々に周囲に知れ渡った。しばらくひやかされたりしたものの、幼馴染だということで、最近はうわさなんかもされなくなってきていた。が高校に入ってからもオレを異性として見ないのは、そこにも原因があったのではないだろうか。

 何となく不満気な伊佐敷の相槌が気になる。

「何だ」
「いや、やっぱ、幼馴染ってテッパンだからよ」

 何の話なのか今一つわからない。

「何だそれ」
「少女漫画のテッパンだろ」
「…」

 厳つい顔にそぐわない少女漫画のセオリーを口にする伊佐敷に少しあきれてしまう。けれど伊佐敷はオレの心の奥を見透かしたのではないかと思うほど、意外に本気の顔をしていた。



3
 クラスが違うことが幸いしたのか、1年の夏休み前にはすっかり私と優のうわさは消えてなくなった。それと同時に優はゆっくりと、でも確実に女子の間で人気が出てきた。もてるだろうということは予想済みだった。普通に考えてかっこいいし、優しくて頼りになる。だからあの心地良い隣に私ではない女子がいることになる日はすぐだと思っていた。けれど意外にもその日はまだ来なかった。

「クリスくん、また振ったらしいよ」
「あ、そー」

 友達の林子がそういう情報をどこからか仕入れては私の耳に入れる。その度に私は平静を装うことになる。もちろん気にならないわけじゃない。けれど、私はどうこう言える立場じゃない。

「他人事ね〜」
「他人事だもん」

 ホントに?と疑わしい目を林子は向けてくる。ホントも何も、優の隣への執着を思いを切ったあの日から一言も話すらしていない。廊下で時折すれ違うことがあったって、お互い何も言わない。それを林子だって知ってるくせに。

「理想高いのかな」
「優ママはちょー美人だしね」

 最近会ってない優しい優ママを思い出した。それと同時に楽しかった小さいころのことが思い出されてくる。私のパパとママと、優しくて美人でお料理も上手、でもちょっと天然な優ママと、あの頃は芸人さんだと信じて疑わなかったおもしろい優パパ。バーベキューもクリスマスも海水浴にスキーも、一緒にとても楽しく過ごしてた。小学校の高学年になると優は野球に費やす時間が増えて、イベントごとは減っていったけど、優の出る試合の応援へ行くことも楽しかった。

 それが今では、そんなころがあったことが嘘のように優との距離ができている。やり切れない思いがないわけではないけれど、どこかほっとしているのも事実だった。

 そんな中、優ママは相変わらず私にメールをしてくる。内容のほとんどは優は学校でどうしているかときいてくるものだ。私はひどく遠い立場から客観的に見た事実を伝えている。基本的には同じクラスじゃないからと、詳しくわからない理由をそう付け加えて。まさか二か月近くもまともに言葉すら交わしていないなんて、きっと思いもしていないだろう。

 そして昨日届いた優ママのメールに実は少し困っていた。

 優ママはもともとモデルだった。結婚を機に引退をして、優が生まれた直後くらいから子供服のブランドを立ち上げたそうだ。優の成長に合わせて年齢層の展開を広げて、今はティーンも手掛ける人気ブランドになった。そのブランドの、この夏に出す浴衣の新作を試着しないかとお誘いを受けたのだ。

 今までだって、そういうお誘いはあって、もちろん喜んで行っていた。優にも会えるし、発売前の新しい服ももらえたし。でも今回はなんだか気がのらない。優と距離を置いてしまったうしろめたさみたいなものがあるせいだ。

 いったい何がこんなにも、もやもやとしているのか自分でもわからない。優を見ると、いつまでも見えない出口を探しているような、息苦しささえ感じてしまう。どうして、あんなに優しかった優は別人みたいになっちゃったんだろう。もう私の知っている優はどこにもいなくなっちゃったのだろうか。

 いつだって私の王子様だった、あの優は。


4
 玄関先で手を差し伸べる。すると、は困ったように笑った。

「学校じゃないから、大丈夫だ」

 つなぎたくて、触れたくて仕方ない逸る気持ちを抑えるように、ゆっくりとそう言った。けれどは首を振ってオレの手を拒否した。

「大丈夫。もう子供じゃないんだから。それに慣れたし」

 平気平気と人の気持ちも知らずに朗らかに笑う。その様子はオレの手にもう未練はないのだと推し量るのに十分だった。どうせならさっきの困った顔のまま笑ってくれた方がよかった。一度は自分から距離を置いたにも関わらず、そんなことを思ってしまう自分が浅ましい。

「そうか」

 玄関先で荷物を確かめる。の着ていた浴衣一式が入った紙袋を手にして出ようした矢先、背中に声がかかる。うらめしそうな母親の声。

「夕飯食べて帰ればいいのに」
「明日も早いんだ」

 子供のように拗ねる母親に言い含めるように笑う。そもそも今日も、母親のわがままに振り回された形なのだ。

 今日は土曜日で練習も早めに切り上げられた。夏大の予選も近いし、自主練をと思っていたら、いきなり迎えの車を寄越して、有無を言わさず実家へと連れてこられた。着いたら、が浴衣姿でいて―これはラッキーだと素直に感謝した。が、もちろんそれで済むはずもなく、オレも浴衣を着せられた。

 子供のころからこうして新作の服を着せられて、軽くスナップ写真を撮られることには慣れていたけれど、まさか、寮に迎えを寄越してまでさせられるとは思っていなかった。

「だって、優とで撮りたかったし。ほら、男女のバランスがね〜」

 そう言いながら、写真を取り込んだパソコンの画面をみながら、ショップのディスプレイではどうこうと呟いている。もちろん、傍らにあるカタログにはちゃんとしたモデルが使われている。要は母親のイメージを固めるためだけにオレとで写真を撮ったにすぎない。小さいころからそうして撮られたとのツーショットのスナップはいったいどれほどあるのだろう。

「優、ちゃんと送ってってね!」
「わかってる」
「優ママ、浴衣ありがとう」

 母親ににこやかに手をふるを促して、家を出た。行きは迎えにきたのに、帰りは放り出すのだから、全く勝手な人だ。わが母親ながらあきれてしまう。けれど、と二人で帰るのだと思うと心がおどる。たとえ、この手を拒否されていても。なぜならまだその手が他のヤツのものになったわけじゃないからだ。

 それに、幼馴染としてつないでいた手をが離したこと。それはがオレのことを、幼馴染から異性へと意識を変える最初のきっかけになるんじゃないかと少しばかりの期待したからだ。



5
 学校の最寄りの駅で降りた。私の家は駅から学校を通り過ぎた西にある。そのまま制服姿で並んで歩く。こうして歩くのは入学式以来かもしれない。その時は手をつないでいた。手をつないで、校門で二人で並んで写真を撮った。それはその時の私には当たり前のことだった。けれどたくさんの人が珍し気な視線を私たちに寄越していた。てっきり優パパが注目されているのだとばかり思っていたけれど、そうじゃなかった。その理由が今なら私にもわかる。

 高校生の男女が人前で手をつなぐ、ということはそれほど特異なことだったのだ。

 西日に向かって歩くから眩しくて、それを避けるように優を仰ぎ見る。私の右頭上には優の横顔が見える。ずっとその横顔を見てきた。それは変わらないのに。変わったことは手はつないでいないということだけ。そう思った矢先、ふと疑問がわく。

 本当に変わったのそれだけなんだろうか。

 あるかわからない答えを知りたくて、優の横顔を見つめる。私の視線に気づいたのか、優は柔らかな目で私を見た。こういう目で見る男の子を私は他に知らない。

「どうした」

 そう聞かれても、上手く答えられない。柔らかな目と優しい性格。野球で鍛えた体はとってもたくましいし、頼もしい。こうして改めて優を見れば、もてて当然だと思う。幼馴染として長く付き合ってきて、本当に誇らしい。

 ただ見惚れていただけだと気づいて、何か答えなくちゃと思った私は

「優、もてるよね。早く彼女作ればいいのに」

 思ったことをそのまま口にした。そして、それを口にして改めて気づいた。優の隣で手をつなぐ女の子は幼馴染から彼女に変わるのだと。そういう年に私たちはなったのだと。

 そう、彼女を作れば、幼馴染の女の子の存在なんてなんてことなくなるはずだ。私も意識的に学校で優を避けるなんてことしなくてもよくなるだろうし、そうすれば、もやもやとした何とも言えない気持ちもなくなるはずだ。

 優に彼女ができる、今それは名案のように思えていた。けれど、それを口にすると同時に驚くほどその考えを拒否する自分もいた。優が私ではない誰かの王子様になることが、私が優のお姫様じゃなくなることが耐えられないほどの痛みを私の心に与えた。

 私、優のこと…。

 すがるような気持で優を見た。自分の気持ちがひどく頼りなく揺れていて、優に支えてもらいたくてたまらなかった。優のあたたかなやさしさに触れていたかった。けれど優は小さな笑みを浮かべたまままま何も言わなかった。

 どうして何も言わないんだろう。柔らかな優の笑顔とはうらはらにひどく気まずさを感じる。つい自覚したばかりの気持ちは優を求めているのに。沈黙のまま学校へとさしかかる。高校に入学するまでは沈黙が続いていても居心地はよかったのに。今はこの沈黙は耐えられない。

「じゃあ、ここでね」

 手をふって、優から離れようとした。けれど、優は私のその手首をつかんだ。

「優?」

 ただならない優の気配に心が震えそうになる。こんなに尖った気配をした優なんて知らない。ついさっきまで頼もしいと思えた力が、安心感があると思っていた大きな手が、ひどく怖い。

 自分が優を怖いと思っていると気づいた瞬間、反射的に逃げるように体をよじった。けれど、優の手はびくともしない。何度も逃げようとしてそのたびにますます強くなる優の手に、痛くて怖くて、ついに私は涙をこぼした。

 私の泣く気配に優の手がゆるんだのがわかった。今なら逃げられる。でも足は動かない。逃げたって、つかまって、同じことになるかもしれない、そんな恐怖が足を動かさなかった。

 優は私の手首を離すと、私を抱きしめた。



6
 抱きしめたの体は緊張と恐怖でこわばっている。後ろに回した手で優しく頭をなでても、背中をなでても、そうすればするほど体を固くする一方だった。

 が怖い目に合わないように、怖い思いをしないように、そうやって慈しんできたオレの手が今、に恐怖を与えている。

 きっとこの手に異性としての想いが込められているからだ。

 不思議と泣かせたことへの罪悪感はなかった。どちらかといえば泣きたいのはオレの方だった。

「彼女作ればいいのに」

 その一言は驚くほどオレの心をえぐった。

 こんなにも大切にしてきたのに。こんなにも好きなのに。が目覚めるまで待とうと思っていたのに。もちろんそれはすべてオレの一方的な想いでしかない。それなのに裏切られたような気持ちになってしまった。

 が居心地悪そうにしているのを知りながら、どうしたらにこのオレの気持ちがすべて伝わるのかそればかり考えていた。けれどきっと伝わらない、そう確信したのは、学校の校門の前でオレとここで別れることにがほっとした様子を見せたからだ。

 無理にでもに気づかせないと、一生、幼馴染から抜け出せない。そう思った。

 少し乱暴なのはわかっていた。でもひとたび、心の箍を外してしまったら、あとはただあふれていくばかりだ。逃げ出そうとするの体を押さえつけることなんて簡単で、頭の片隅で拍子抜けして笑う自分がいた。

 が泣くと、昂ぶった気持ちが少し和らいだ。勝手に傷ついた自分を慰められた気持ちになったからだ。力をゆるめてもは逃げ出さなかった。怖くて動けないのだろう。

 そんなを抱きしめる。

 抱きしめたままの顔をのぞきこむ。声もあげずに泣き続けるにキスをする。額に、涙を湛えたまつげに、頬に、そして、躊躇することなく、そのくちびるに。

 くちびるに感じるしょっぱさは決して幸せなものなんかじゃないのに、もう一度味合うように合わせた。は小さくしゃくりあげながら、視線をオレに合わせることなく遠くにむけたまま、オレのくちびるをただただ受け入れ続けた。

 きっと、こんなことをするオレに驚いている。軽蔑しただろうか。嫌ってくれてかまわない。それでオレを男だと意識してくれるのなら。 

 そうだ、眠り姫はキスで起こされたんだ。だから、これでいいはずだ。わずかに心に生じた罪悪感をやわらげるための自分への言い訳のようにそう自分に言い聞かせた。それともこれは眠り姫を眠らせた呪いの棘だろうか。



7
 優のくちびるが離れていくと、代わりに手が伸びてきて、その親指が私の涙を拭いた。その優しさはよく知っているものだ。

 優だ、と思った。

 その指の優しさは優だ。間違いない。でも、今、目の前にいる優は私の知らない優だ。知っている優と知らない優が同時に私の目の前にいる。優のやさしさにふれたくて仕方なかったはずなのに。とまどいが大きくて自分でも泣いてしまったことがわからない。

「言いだしっぺの法則だな」

 いつもの穏やかな口調で優は、さっきまで私の涙を拭いていた手で自分の前髪をかきあげた。

 言いだしっぺの法則は私たちの小さいころからの決まり事。何かを始めるときに、それをしたいと言い出した方がすべての責任を負う、というものだ。小さないたずらも、他愛もないわがままも。

「い、言いだし…」
「オレに彼女を作れというなら、が彼女になればいい」

 優の言葉が頭の中を素通りしていく。さっきまでの優のキスはまだ私を混乱させていて、感情も思考も麻痺してしまっている。でもこれは言いだしっぺがどうこうっていう話じゃないことは確かなはずだ。それを言いたいのに上手く言葉が出てこない。ただ違う違うと首をふることしかできない。けれど優はそんな私の様子を無視した。

「決まりだ」

 その一言と一緒に、また優のくちびるが触れにくる。反射で目をつぶって身を固くすると、寸前で優の動きが止まったことが気配でわかった。そっと目を開けて恐る恐る様子を伺う。ひどく傷ついた顔をした優が目に入った。

 どうしてそんな顔してるの。

 私の視線に気づいた優はふっと笑っていつもの穏やかな笑みをたたえると、私から離れた。

「遅くなったな。送るよ」

 まるで何もなかったかのように、私を促して歩き出した。高校入学前のように当たり前に私の手をやさしく引く優はいなくなった。

 
 私たちの手はつながることがないまま、そのまま。




 の家に向いながら一言も話さなかった。はオレの一歩後ろを歩いていて、オレはその顔を見ることはできなかった。罪悪感がないわけではなかった。けれど心の片隅がすっとしているのも事実だった。

 もう隠さない。

 が好きだということをに隠す必要はなくなったのだ。身勝手だとと罵られてもかまわない。

「あの、優」

 不意にが口を開いた。このまま口も利かず今日は終わるだろうと思っていたので少し驚いた。立ち止まって振り向いた。沈みかけた太陽が濃い赤の光での顔を染める。眩しいのだろう。上目遣いにオレを見た。

「優は、その…」
「うん?」
「誰でもいいの?」

 なるほど。なりに何とか理屈を考えたようだ。無言で歩きながらいろいろ考えて出た結論がオレは付き合う相手は「誰でもいい」らしい。そう思うならそう思えばいいだろう。

 の問いには答えずに歩き出した。は立ち止まったままなのが気配でわかる。振り返るとはうつむいたままだ。

 の元へ戻ろうとして思いとどまった。からこっちへ来てくれることを待たなければダメだ。はオレの視線に気づいて、早足でオレのところまでやってきた。その顔は何かの決意をもったように見えた。

「私、優が好きなのに、優が誰でもいいなら、嫌だから」

 は勢いよくそう言うとオレを追い越してその勢いのまま歩いていく。その背中を唖然と見送った。今何て言った?



 先に行くの手首をつかむ。振り向いたは怒ったように手をふりはらった。

「優は好き。でもあんな乱暴な優は嫌い」

 自分の手を守るように胸に当ててはオレをみつめた。オレは逸る気持ちを抑えてをみつめてゆっくりと近づいた。そっと手を伸ばして、その手をとった。

「すまなかった。に彼女をつくればいいのにって言われて、かっとなったんだ」
「…優が?」
「オレだって腹がたつことくらいある」

 の手を自分の口元に持ってく。努めてやさしく指にキスをする。

「好きだ。は?」
「…さっき言ったもん」
「もう一度聞きたい。男として、だよな?」

 オレのその問いにはうつむいたまま何も言わない。

「幼馴染としてじゃなく、だよな?」

 しつこいと自分でも思いながら念押しする。

「だから、そういう優…嫌い」

 ぱっとオレの手を振り払って背を向ける。

「そうか、オレはそんなが好きだ」

 後ろから包み込むように抱きしめる。愛おしいという気持ちをこめてやわらかく髪にくちびるを落としてを離した。それだけでの機嫌はなおったらしい。少しだけすねた顔をしてからオレに笑顔をむけた。

「さぁ、行こうか」

 に手を差し伸べる。その手にははにかんだ笑顔で手を重ねた。

 王子様でお姫様だったおとぎ話はもうお終い。お互いを想うその手はこの先の未来を紡いでいく。





20170727